Desire



 朱色の髪を染めて偽り、色付きの眼鏡を掛けて瞳の色を隠した。気配の隠し方、音を立てずに歩く方法は過去与えられた任務によって嫌でも身に着けさせられた。そうしなければ生きていけなかった。
 初めて降り立つ港から前方を見上げた。この世界で一番天(そら)に近いと言われる王都バチカルの都。その一番上に彼が居るのだ。

「 ――― もうすぐだ」

 その姿を求めていた。全てを知ったあの日からずっと。
 ただ一目見るだけでも良かった。
 誘拐され帰還してからは屋敷の警備が強化されたと聞いた。彼に会いたいと望んでもこんな子供では門前払いされるのが目に見えていたし、何よりも正面から会いにはいけない事情もあった。
 だから屋敷に忍び込めるだけのスキルを身に着けるために耐えること数年、ようやくこうして生きているうちにやって来る事が出来た。
 マントの襟を掻き合わせ、腰に佩いた剣の存在を確かめて。そうして都の中心へと向かう人混みへと紛れた。


 当たり前のように、屋敷の入り口には甲冑を纏った兵士が立っていた。ここに来るまでに利用した昇降機の前にも常に彼らの姿があった。こんな場所に子供が何の用だというような視線を受けたが、特に警戒はされなかったようだ。所詮子供なのだから何も出来ないだろうと愚かにも思い込んで。
 彼らは、目の前の子供が自分よりも強いだなんて思いもしない。本気になれば瞬殺される程の実力を持つ事を知らない。
 だが己の目的はそこにはない。隙を見て屋敷に忍び込めればそれで良く、事を荒立てる気も無かった。だから自然な動作で彼らの前から歩き去り、誰にも見られぬように気を払って屋敷の裏手へと姿を消した。

 大きな木の木陰に座り込んで本を読む子供の姿を見つけた。遠目にも判る髪の色は綺麗な紅。きっと本の文字を追う目は翡翠の色を宿しているのだろう。
 本物のルーク・フォン・ファブレ。
 己のオリジナル。
 傍に近寄りたい衝動を堪えて、その場に踏み止まった。いくら容姿は誤魔化しているとはいえ、侵入者が姿を現せば即兵士が駆け付けてくる。捕まるヘマなどする気はないが、もっと彼を見ていたかった。あれ程までに求め続けたオリジナルの姿を。
 やがて軽快な足音と共に一人の少女が現れた。満面の笑みを浮かべてルークに抱きつく彼女。ルークは真っ赤になってそんな彼女を引き離そうともがいている。

「そんな本ばかり読んでないで、わたくしと遊びましょう、ルーク」

 そう言いながら彼女はしきりにルークの腕を引く。
腕を引かれたルークは、やがて諦めたように分厚い本を閉じた。
 そこにタイミングよく現れた青年は、この家の使用人の一人のようだった。ティーセットを手にした彼の姿を認めると、少女は急かす様に手招く。そうしてあっという間に展開されていく午後のお茶会。
 穏やかで、幸せな光景。
 戦地で血にまみれ、幾人もの命を奪い続ける自分が知らなかった世界がそこにはあった。そして幾ら羨望したとしてもこの手には掴めない幸せが。
 既に麻痺したはずの心にチクリとした痛みを感じた。

「……っ!」

 これ以上はもう見ていたくなかった。現実に戻れば虚しいだけの、幸せな夢を見続けたくは無かった。
 だから、逃げるようにその場から立ち去った。





「アッシュを見なかったか?」

 部屋に足を踏み入れるなり、ヴァンは己の副官であるリグレットへと尋ねた。
 探せる場所は全て探した。今彼に任務は与えてはいない。だから此処、ダアトに居なければおかしいのだ。

「アッシュは現在行方がわかりません。ですが、バチカル方面へ向かったとの目撃情報があります」

 事も無さげにリグレットが告げる。どうせ何処へ行こうとも必ず戻ってくる事はわかっていたのだから。

「 ――― 知らなければ、望むものなど無いというのに。おまえは何処までも愚かだな……レプリカドール」





 バチカルの港から船に乗って、それからの事は覚えていない。気付けばダアトに戻って来ていた。
 やはり、己の住むべき世界はここしかないのだ。

「何処へ行っていた、アッシュ。勝手な外出など許可した覚えは無いぞ」
「 ――― 申し訳ありません」
「まぁいい。おまえの帰る場所は此処しかないのだからな」

 言葉が冷たく心に突き刺さる。
 バチカルで見たあの幸せな夢をそっと心の奥底へと封印し、アッシュはヴァンの言葉に頷いた。




 
灰焔祭#002で配布したペーパーの裏に載っけておいたSS。
途中で無くなったので渡せなかった方すみませんでした(ノ∀`)
オフ本の番外となってます。出来るだけイベント配布ペーパーの裏にはSS書きたいです。
2008.2.26