「それで、首尾はどうなってますの、アッシュ?」
手に持ったカップを受け皿に戻し、ナタリアは向かいに座るアッシュを見た。
いつかは訊かれるだろうと思っていたが、何も今此処でなくとも良いだろうに。アッシュは彼女に気付かれないように、小さくため息をついた。確かに此処ならば他の誰の邪魔も入らない。だが、いくら幼馴染みとはいえ、一人暮らしの男の家に躊躇いも無くやってくるとは警戒心がなさすぎる。
何処か天然が入っているこの幼馴染みの将来が本気で心配になりそうだ。
「無事にバイトとして入り込めたのですから、何か進展があったのでしょう?」
期待の眼差しでナタリアが迫ってくる。その勢いに思わずアッシュはたじろいだ。昔から、ナタリアにだけは勝てた試しがない。ここは何かを言うまで退いてくれないだろう。
「……好きだとは言った」
諦めて、言葉を紡いだ。
「まぁ、それでルークの反応は?」
先程以上に目をキラキラさせて、ナタリアが身を乗り出しながら訊いてくる。……距離が近い。多少ナタリアから離れるように距離をとって、アッシュは口を開いた。
「ふざけるな、と怒られたな。まぁ、そう言われてももう逃がしてやるつもりなんて無いが」
遠回しに言っても鈍いルークには伝わらない。だからはっきりとストレートに伝えたら今度は激怒された。だが、最初こそ無視されたりしていたが、今はそうでもない。多少なりとも心が揺らいできているのが目に見えてわかるようになった。
おそらく、この腕の中におちてくるのも時間の問題だろう。
「……上手くいっているようで何よりですわ」
カップの紅茶に口を付けながら、ナタリアが呆れたように言う。付き合いの長さから、互いに口に出さなかった言葉まである程度はわかるのだ。それに、いつも眉間に皺を寄せているアッシュの顔には、僅かだが笑みが浮かんでいる。機嫌が良い証拠だ。
「貴方達の事は、わたくしも心から祝福いたしますわ。ですが、アッシュ。貴方も少しくらいはわたくしに協力してくれても良いと思いますの」
「協力……?」
ナタリアにそんな相手がいた事自体、アッシュにとって初耳だった。今まで自分の事に手一杯で考えもしなかったが、確かに彼女の方が先に、親同士の決めた婚約の違和感に気付いたのだ。彼女に想い人の一人くらい居ても不思議ではない。
今まで全くその気配を悟らせなかったのは凄いと思う。だが、果たして自分に手伝える事などあるのだろうか。
「ええ、わたくしに協力して欲しいのです。というか、わたしくしにとって今一番の障害は貴方ですのよ、アッシュ」
その一言に、全く身に覚えの無かったアッシュは一瞬固まった。次の瞬間我に返ると、ナタリアの言葉の意味を考える。
おそらく、相手は自分の見知った人物なのだろう。先程ナタリアは自分達を祝福すると言っていた。そうなれば相手はルークではないだろうし、だとすれば考えられるのは一人。
「ガイ、か……?」
「ガイって、もう一人のバイトの方?」
きょとんとした表情で、ナタリアが聞き返す。その様子からしてどうやら勘違いだったようだ。もっとも、女性恐怖症な上にルーク大好きなガイを、大切な幼馴染みに勧めたいとは思えなかったのだから丁度良い。
だが、そうすると一体誰なのだろう。
ガイとルークは違う。残りは……と考えて、何か凄く嫌な予感がした。
「アッシュ、貴方がバイトに入ってから、ローレライ様がお店の方に全然姿を出して下さらなくなりましたわ。以前は焼き上がったケーキを運ぶ姿を時折拝見できたというのに、貴方が役割を担うようになってからさっぱりですのよ」
やはり、そうきたか。嫌な予感が的中したアッシュは頭を抱えた。
「ナタリア……お前の想い人というのはまさか……」
「ええ、ルークのお父様の、ローレライ様ですわ」
にっこりとナタリアが笑う。
「協力して下さいますわよね?」
有無を言わさぬ口調。それに、今まで散々手伝って貰ったのだから、アッシュが断れる筈が無かった。
「……わかった。ナタリアが来ている時は、『たまには店の様子でも見てきたらどうだ』と勧めてみる事にする。あとは、彼について何かわかれば教えよう」
「流石アッシュですわ。感謝いたします」
ナタリアが嬉しそうに微笑んだ。
一方のアッシュは、今後の事を思うと胃が痛むようだった。ルークの父親であるローレライ。彼は今もなお亡き妻を想い続けている。故に、ナタリアの恋が成就するのはかなり難しいだろう。
彼女とてそれを知っている筈で、それでもなお諦められないというのならば、アッシュとしては応援するしかない。そうしなければ後が怖い。
「ああ、もしも貴方とルークが上手くいって、わたくしとローレライ様の方も上手くいきましたら、わたくしの事を『お母さま』と呼んでも良いですわよ?」
「…………!?」
協力を得られた事で機嫌の良いナタリアから落とされた爆弾発言が、アッシュに更に追い打ちを掛けた。
普段神など信じないアッシュだったが、この時ばかりは神に祈るしかなかった。