それはある昼下がりの事だった。
「これは一体何だ?」
目の前の物体を見ながら、訝しげにアッシュが問う。
「まぁ、見てわかりませんの? これはケーキですわ!」
「うぅ………こんなはずじゃ」
自信満々に答えるナタリアと、落ち込み気味のルーク。
彼らは、数時間前に城の厨房を爆破させた張本人達でもある。あまりの惨事に耐えられなくなったメイド達が、ファブレ邸で執務中だったアッシュを呼びにきたのだ。
急を要する仕事のみを片付けて城まで駆け付けてみれば、そこは凄い有様だった。部屋全体が黒く煤けている。普通に使用していればまずありえない光景だ。
そして目の前にあるこれ。きっとこれを作るのが目的だったのだろうが、はっきり言って見た目で判断できる代物ではない。これを見てわかるものがいたら驚きだ。
ナタリアがケーキ≠セと言い張るなにか。
正直に言って、アッシュにはそれは黒い塊にしか見えなかった。とてもじゃないが食べ物とは認識できない。よって、これはケーキだとは認められない。
「どうしてこんな事になった?」
少し怒りを含んだ声音で訊ねる。
それにルークがびくりと反応した。そして数瞬思い悩んだあげく、諦めたように口を開いた。
「お菓子の家を、作ろうと思ったんだ……」
「………」
あまりにも突拍子過ぎる答えに、アッシュは咄嗟に反応する事ができなかった。これがお菓子の家? どちらかと言えば、とうに夢廃れた廃墟じゃなかろうか。
訪れた沈黙の原因を、先程の返答を聞き取れなかったからだと勘違いしたルークは、更に言葉を続けていく。
「だから、お菓子の家を作ろうと思ったんだ。きちんと設計図も描いて、材料も準備して、ナタリアと日程も打ち合わせて。それで二人で完成させてアッシュを驚かせるつもりだったんだよ。……こんな事になっちまったけど」
まさかケーキが爆発するなんて思わなかった、とルークはしょんぼりと肩を落とした。
ルークの言葉に、アッシュは心の中で同意した。普通ケーキは爆発などしない。というか、爆発させる方が難しいと思うのだが、この従兄弟は昔からそれを何度もやってのけてきた。どういう原理なのかは未だ解明されてはいない。
「それで、テメェは一体なんでケーキの家なんか作ろうと思ったんだ?」
「なんか、とは酷いですわよアッシュ! バレンタインに心を込めたお菓子を送ろうとする乙女の気持ちを、貴方はないがしろにする気ですの!?」
しまった、と思った時には既に遅かった。何かのスイッチが入ってしまったらしいナタリアに、アッシュはその後一時間にも及ぶ説教をされてしまう事となった。漸く開放された時には流石のアッシュも疲れ切っていて、逃げ遅れていたルークを引きずるようにして屋敷へと戻った。
ナタリアの話をまとめると、最初にお菓子の家制作案を出したのはルークで、それを聞いたナタリアが協力する事になったらしい。気付かれないようにと城の厨房を借りて制作に取り掛かったが、何処を動間違えたのかあの有様になってしまったという。その後は見た通りだ。
今回の一番の要因は、間違いなく二人だけでやろうとした事だろう。何しろ、彼らはかつてのPTメンバーの中で、料理スキルのワースト1と2なのだ。旅をするうちにそこそこ改善されたものの、明らかに今回の目的にはレベルが足りなかった。
だが、ナタリアに協力を求めずにルーク一人で作ればまだ食べれるものが作れた可能性はあったのに。旅の成果として、ルークは食べれないものは作らなくなったのだから。
それを訊いてみれば、少し躊躇うように返事が返ってきた。
「お菓子の家は、俺とナタリアとガイがまだ小さな子供だった頃の夢だったんだ。みんなで絵本を囲みながら、いつかこのお菓子の家を実現させてやろうってな」
アッシュの知らない、七年間のルークの思い出。
「この間掃除してたらその絵本見つけたんだ。そしたら急に懐かしくなって。でもって、アッシュにも見せたいなって思った。それでナタリアに相談したら是非作ろうって話になったんだよ。時期的にもバレンタインに丁度良いからってさ」
アッシュに喜んで貰いたかった、とルークは照れくさそうに笑う。
だが、アッシュは騙されなかった。
「つまり、テメェはあれを俺だけでなくガイにもやろうとしてたって事だな?」
ぎくりとルークの身体が固まった。
どうやら図星だったらしいその様子に、アッシュは自分でもわかるくらいに機嫌が下がっていくのを感じた。いくらガイとはいえ、面白くない。
「テメェが一体誰のもんか、一度じっくり教えてやる必要があるな……」
「ア、アッシュ……?」
傍らに近寄って、ルークの腕をぐいと引く。その勢いで身体を肩に担ぎ上げると、アッシュは歩き出した。
急ぎの仕事は片付けた。残っているものは明日以降に取り掛かっても大丈夫なものばかりだ。
よって邪魔するものは何もない。
「テメェが悪い。大人しく諦めるんだな」
往生際悪くジタバタともがくルークを押さえつけながら、アッシュは迷い無い足取りで隣の部屋 ――― 寝室へと向かった。