「いらっしゃいませ」
ガラリと引き戸を開ける音を聞き、マニュアル通りの挨拶を行う。そうして漸く入ってきた客の方へと視線を向け、アッシュはぎくりと固まった。
「あ、今日の店番ってアッシュだったんだ」
そう言って人懐こい笑みを浮かべる相手は、この店のなじみの客だ。この客―ルークは学校が終わる夕方から夜の間に、時折やってきてはいくつか菓子を選んでいく。
「今日は何にしようかなーっ」
今日もアッシュに挨拶するやいなや、目を輝かせながら商品の並んだケースを覗き込んでいる。その様子から、ルークに耳としっぽの幻が見えたような気がして、アッシュは深くため息をついた。他に客が居なくて良かったと、心から安堵する。
「そういえば、もうそんな季節だっけ」
ケースの端から順に眺めていたルークの視線が、ある一点で止まった。そこに並んでいるのは柏餅だ。季節は五月の初頭。もうすぐ端午の節句という事もあり、普段よりも多めに並べられている。
じっと柏餅を見つめるルークの様子に、アッシュは嫌な予感を覚えた。イベント商品の為、それなりに目立つようにディスプレイを行っている。けれども、出来ることならばそれだけは買って欲しくないと思う。
けれども、その願いは未だかつて一度たりとも叶った事はなかった。
「よし、決めた。この柏餅五つ頼むな」
そう言って、ルークはケースの中の柏餅を指差す。数ある中から一つ一つを選んでいくルークはとても嬉しそうだ。アッシュは指差された柏餅のうち四つを包んで袋に入れ、残りの一つは懐紙に包んでルークへ手渡した。
「あ、さんきゅ。どうしても家に着くまで我慢ってのが出来なくてさ」
柏餅の代金をアッシュに手渡しながら、ルークは苦笑する。奇数個お菓子を買っていく場合、ルークがその中の一つを食べながら帰る事は周知のことだ。
「それに、うちってああだから、時折凄い和菓子が恋しくなるんだよなぁ。確かにチョコや生クリームは好きだけど、毎日だと流石に飽きてくるし」
「……そうだな」
ルークの家は洋菓子店、アッシュの家は逆に和菓子店を経営している。だから、ルークの言い分もよく分かった。アッシュとて時折は洋菓子の味が恋しくなる事がある。そういう時は大抵幼なじみのナタリアに連れられて、彼女のお薦めの店にお茶へと繰り出す。その中には勿論ルークの家も含まれている。
「ほら、釣りだ」
ルークは無愛想なアッシュの様子に動じることもなく、お釣りを受け取ると財布にしまった。それから財布を素早くズボンのポケットに押し込むと、懐紙に包んだ柏餅を手に取った。
素早く懐紙を開き、柏の葉を剥がすとそのまま勢いよく一口かぶりついた。
「ん、美味い」
そう言って満面の笑みを浮かべるルークを見て、アッシュの顔が僅かに赤く染まる。それをルークに気付かれないようにと注意を払いつつ、アッシュはいつものようにルークに向かって怒鳴った。
「ここで食うなと何度言ったら分かるんだ、テメェは!」
「何だよ。別にこれくらい、いいじゃねぇか! アッシュのケチ!」
二人とも本気で言い合っている訳ではない。呆れ顔のアッシュに、悪戯が成功した子供のように笑うルーク。この掛け合いも毎度の事だ。時間と共に自然と収束する。この場合、大抵はルークが逃げ切って終わる事になるのだが。
「それじゃ、またな」
素早く間に出口の方へ移動したルークが、手を振りながら駆けて行った。
どうやら今日もいつものパターンのようだ。
店の扉が閉まる音を聞きながら、アッシュはルークの後ろ姿を見送った。
まるで台風のようだ。
ルークが訪れる度にアッシュは思う。
「……どうして、アイツにはいつもバレてしまうのだろうな」
数の減った柏餅を眺めながら、疑問が頭をよぎる。毎度疑問に思いながらも、ルークには訊けない事。
ルークが先程買っていった柏餅は、五つともアッシュが作ったものだ。並べてあったのはアッシュが作ったものばかりではない。それなのに、ルークはその中から的確にアッシュの作ったものを選んで買っていく。
確かにまだまだ未熟だとは思うが、パッと見でわかるような代物ならば店には出させて貰えない。店に並べる許可が出たくらいだから、素人目には見分けがつかない筈なのに、何故かルークにだけは通用しないのだ。
それに、ルークに会うと何だか言いようのない気持ちになる。
暫く姿を見せない時は会いたいと思うのに、実際に彼が訪れるとどう接していいのかわからなくなって困る。
(一体どうしたというんだ、俺は……)
ルークに出会ってから、わからない事ばかりだ。
はぁ、と深いため息をつくと、アッシュはカウンターに突っ伏した。