Thing left behind



 退屈な日常が今日もまた始まった。
 本棚から分厚い本を一冊取り出し、それを抱えて中庭へと降り立った。一歩足を踏み出せば。頭上にはどこまでも続く青い空が広がり、あたたかな陽の光が降り注いでくる。綺麗な花が咲き乱れる庭を横切り、片隅に佇む木の木陰へと座り込んで本を広げた。そこがただ一つのお気に入りの場所だった。
 視界の隅に写る白銀の甲冑。この屋敷を護る彼ら白光騎士団に、どこに居ようとも常に見張られている。己の身分からして護られるべき立場である事は十分に理解しているが、あの日からそれは過剰すぎるものへと変わった。
 十歳の時、このファブレ公爵家の一人息子であるルーク・フォン・ファブレが誘拐された。キムラスカ王家に縁があるファブレ家の者はその身に王家特有の色を宿している。故にルークにも王位継承権が与えられていた。
公爵家と王家と、その二つからの要請で捜索隊が組まれたが、ルークの行方は杳として知れなかった。
犯人からの要求は何もなく、よってもはや生きてはいまいと諦められかけていたその時。一人の男からキムラスカへと文が届けられた。今は既に使われていないファブレ家の別荘、コーラル城でルークを見付けた、と。
その知らせを受け取った後の彼らの行動は早く、押し寄せた騎士団らによってルークの身柄は無事ファブレ家へと戻された。
結局の所、犯人はわからないまま。上の者達はしきりに敵国マルクトの仕業だと言っていたが、それを証明する確たる証拠もなかった。そのおかげというか、今現在両国の関係はまだかろうじて保たれている。

(あれからもう、五年か……)

 文字を辿るのをやめて本を閉じた。
 五年という歳月が過ぎるのは早かったのか遅かったのかわからない。ただ、その時間が酷く苦痛だったのは確かだ。
 誘拐されてからファブレ家へと戻るまでの数週間の記憶が、今の自分には無い。人は怖い体験や辛い体験をした時、その記憶を無意識に心の奥底へと封印してしまう事があると、担当した医師が告げた。だから記憶が無いのはその為だとも言われた。
 それを聞いた母は泣きながら自分を抱きしめた。可愛そうに、と何度も呟きながら。父はそんな様子をただ見つめるだけで何も言わなかった。
 そしてその日から、屋敷の外へ出ることは一切叶わなくなった。危険な事など何もない、外から隔離された箱庭にずっと閉じこめられ続けている。今まで強いられていた実験へと連れ出される事が無くなったのは嬉しい。だがそれに伴い誘拐前には許されていた各地への視察も、願い出た所で全て却下されるようになった。このバチカルの城下町の様子ですら実際にこの目で見ること叶わず、ただ屋敷の中でこうして本の頁を捲ることしか出来なくなった。
 この国の良き王になると誓った想いは、既に遙か遠い日の夢物語。
 自由に行動できるのはこの屋敷の中だけ。しかも常に白光騎士団が見張り、隙を付いて抜け出す事も出来ない。実際に自分の目で見て考えて行動できないこんな状態で、一体どうやって良き王になれというのだろう。
 だがそれでも。
 捨てきれない願いを未だに抱き続けている。

 見上げれば、いつまでも変わること無く広がる蒼穹。そこを自由に飛びゆく鳥達をただ羨ましいと思った。





 やはり夢は夢でしかなかったのだと、漸く気付かされた。このキムラスカの王となり、良い国を作るようにと求められたと思っていたが、実際はそうではなかったのだ。
 上層部にしか知らされていなかった秘預言。そこに詠まれる未来で国の繁栄の為に殺される哀れな子供。それが自分の運命だと知った。
 いつも自分を見てくれなかった父。彼が何故そんな態度を取っていたのか今更ながらにわかった。いずれ死なせるとわかっている子供を愛せる程、彼は強い人間ではなかったのだろう。
 何も知らずに必死に願っていた自分が、馬鹿みたいで惨めで泣きたくなった。そんなにこの命が欲しいというのならば、勝手に持っていけばいい。
 もはや何もかもがどうでもよかった。そう思い、全てを手放そうとした時だった。

「遅くなりました ――― ヴァン師匠」

 旅の途中で何度か目にした朱色が瞳に映る。モノトーンの世界の中、彼の姿だけがはっきりと焼き付いた。傷付きながらも世界を護りたいとヴァンと戦い、だが最後は自らの手で街を壊してしまった己のレプリカ。
 彼は聖なる焔の光(ルーク)≠フ身代わりに殺される為に作られたと言う。七年前自分が誘拐された時に生み出された彼は、預言が告げるその年まで神託の盾騎士団で人殺しの道具として使われ続けてきた。何度戦場へと赴き、死と向かい合わせの中を生き抜きながら、どれ程の命を屠ってきたのか。それはあの箱庭で護られていただけの自分には到底想像出来ない。
 彼に対して何処までも残酷なこの世界。けれども彼は決してそれを恨み憎む事は無く。それどころか必死に護ろうとしたこの存在を、護りたいと願った。
新たに胸に抱いた強い願いは、いつしかその形を変える。

 ――― 愛しいという、強い想いへと。




 
3月の大阪インテイベントで配布したペーパーの裏に載せていたSS。
再びオフの番外。今度はオリジナルルークサイドです。
2008.04.16