しんと静まり返った廊下に、みゅっ、という声が響いた。
それにしまったと思えども、既に出てしまった声は引っ込める事は出来ない。ルークは慌てて胸に抱いた青いチーグルの口元を抑え、更に己の唇の前に人差し指を立てた。
「声を出すなよ、ミュウ。アッシュが起きちまう」
折角、誰もが寝静まったこの時間にこっそりと足音を忍ばせながら部屋を抜け出してきたのだ。ここで物音を立てて気づかれてしまえば全てが無駄になってしまう。
そんなルークの意図を理解したミュウが頷き、それを見たルークは詰めていた息を吐いた。先程よりも慎重に一歩一歩ゆっくりと廊下を歩いていく。距離にしてみればほんの僅か。目的地―アッシュの部屋は己の部屋の隣に増設されたので行き来は簡単だ。
目の前の扉にゆっくりと手を掛け、ドアノブを捻った。僅かに軋む音を立てて開いたドアの隙間から身を滑り込ませると、ルークは廊下の灯りが入り込む前にドアを閉めた。
ベッド脇に置かれた音素灯の幽かな灯りのおかげで、部屋の中を移動するのには何の不便もないようだ。
(ばれて……ないよな?)
気配は消したものの不安は残る。
なにしろ、アッシュはかつて六神将の一人として神託の盾騎士団に所属していたのだ。いくらあの過酷な旅を経て経験を得たといっても、アッシュとルークとの間にはまだ埋めようの無い経験の差がある。気配の絶ち方も察知のし方もアッシュの方が上手い。
そっとベッドの方へと視線を移してみる。人一人分の大きさに盛り上がったシーツが規則正しく上下する様子を見て、ルークは安堵の息をついた。どうやら、彼に気づかれずに進入出来たようだ。
(さて、と)
事前に言い聞かせていた通りにミュウを大きな靴下に詰め、ルークはそれを手にベッドへと近づいた。
今日はクリスマスイブ。サンタクロースがプレゼントを届けてくれる日だ。しかしこれは子供限定のイベントなので自分達は関係ないとアッシュは言っていたが、ルークには一つの考えがあった。
十歳でヴァンに攫われ軍に入ったアッシュは、それ以来クリスマスと無縁だったという。入れ替わったルークの下にはサンタクロース(後に正体がガイだったと知る)が毎年来ていたというのに。だから、今年はルークがアッシュのサンタクロースになるのだと決めたのだ。
「じゃあミュウ、頼んだからな」
ベッドの横に靴下を吊し、ルークは小声でミュウに話しかける。
「わかったですの!」
「わっ、大声出すなミュウ!」
慌ててミュウの口を塞いで背後を確認する。アッシュが起きた様子はない。
だが一刻も早くこの場を立ち去ろうと、ルークがベッドに背を向けた瞬間。
「……で、何を頼んだって?」
背後から地を這うような声が聞こえたかと思うと、辺りが一気に明るくなった。恐る恐る振り返ると、ベッド脇に括り付けた筈の靴下を手にしたアッシュが、壮絶な笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
その迫力に、ルークはその場に縫い付けられたように動けなくなった。
「なんでてめぇが此処に居て、でもってこれは一体何だ?」
顔は笑っているのに、声に怒気が籠もっている。本気で怖い。
「あああ、あの、これはだな……」
「アッシュさんへのクリスマスプレゼントですの!」
既にもう無理だとわかっているが、何とか誤魔化せないかと必死に思案するルークの声を掻き消すように、ミュウが声高に叫んだ。
「ちょっ、ミュウ! おまえ何言ってんだ!」
今までの苦労が全て水の泡。ミュウの一言であっさりとアッシュに計画がばれてしまった。だが、更に続けられたミュウの言葉に、ルークはこれ以上無い程に驚かされる事になった。
「ご主人様はアッシュさんが大好きで、アッシュさんもご主人様が大好きですの! だからミュウのご主人様へのプレゼントはアッシュさんで、アッシュさんへのプレゼントはご主人様ですの!」
「……なる程な」
納得したように頷くと、アッシュは先程までミュウに向けていた視線をルークに移した。そして口の端に笑みを浮かべた。
「あ、アッシュ! プレゼントは俺じゃなくて……っ!」
ミュウの入っている靴下の底に、本物のアッシュ宛のプレゼントがある。朝、まずミュウで驚かせた後で渡すつもりだったのに、何故こうなってしまったのだろうか。
「有難く受け取っておこう。それと、おまえはルークの部屋に戻っていろ」
「わかったですの! でもアッシュさん、ご主人様をいじめちゃダメですの!」
「ああ、いじめやしねぇよ」
自力で靴下から抜け出したミュウが、ぴょんと床へと飛び降りた。そのままちょこちょこと歩き、アッシュが開けたドアから外へと出て行った。
「さて……プレゼント、貰おうか?」
ドアを閉めて戻ってきたアッシュが、ルークの腕を捉えた。そのままあっという間にベッドの上へと転がされる。
「ちょっ、まっ、アッシュ……ぎゃああああ!」
クリスマスイブの夜。
ファブレ家の屋敷に、ルークの悲鳴が響き渡った。