白の箱庭 -side A-  1



 躊躇いがちに部屋の扉がノックされた音を聞いて、読んでいた本から顔を上げた。

「入れ」

 そう一言告げると、恭しく礼をとりながらメイドが一人部屋へと入ってきた。その手にあるティーセットを見て、もうそんな時間なのかと思った。確かにずっと時計を見ずにいたのだけれども、まさかこんなに時間が経過しているとは思いもしなかった。どうも己は物事に没頭すると周りの事を忘れてしまうようだ。
 開いていた本に栞を挟んでそっと閉じる。
 それから隣に目をやれば。

「お茶の支度をさせていただきました」

 そう言い置いてそそくさとメイドが部屋から出て行く所だった。
 どうやらまた怖がらせてしまったようだと、人知れずため息を付く。この屋敷の主の息子と使用人という立場の差からそう親しくなれるものではないが、まるで腫れ物を扱うようなあの態度には流石に何か言いたくもなるだろう。
 使用人達の中で普通に接してくれるのは使用人頭のラムダスと、あとはガイだけだった。ガイは物心付く頃から何かと世話をしてくれた人物で、その関係は幼馴染みと言っても良いだろう。彼がこの屋敷に来たのは7歳の時だと聞いたが、どういう経緯で使用人となったのかまでは知らない。ただ、身寄りが無い事だけは薄々気付いていたから、それ以上は何も訊けなかった。誰にだって踏み込まれたくない領域はあるのだから。
 そのガイが、最近あまり顔を見せなくなった。父から別の仕事を与えられたと聞いたからきっとそちらにかかりきりなのだろうが。
 あれだけいつもすぐ傍に居た人が離れていくのは何だかとても……。
 そこまで考え、慌ててふるふると頭を振った。思ってなどいない。断じて寂しいなんて思ってなどいない。
 誰も見ていないというのに誤魔化すようにティーカップへと手を伸ばし、中の液体をあおった。

「………ッ」

 淹れたての紅茶はとても熱かった。



 数冊の本を手に抱えて、ガイの部屋へと続く廊下を歩いていた。
 きっかけは十数分前の出来事。食事を終え、午後の勉強の前に気晴らしも兼ねて部屋の片付けをしていた際に、机の片隅に積まれていた音機関の本に気付いた。面白いからと勧めるガイに借りて、読んでみたはいいものの返すのをすっかり忘れていた。返却はいつでも良いとガイは笑っていたが、長期間借りっぱなしというのは流石に迷惑だろう。
 今の時刻はお昼をいくらか過ぎた所で、使用人達の休憩の時間と重なる。食事を済ませた後は部屋に戻って音機関をいじっている彼の事、今ならば会える可能性が高い。
 ひとまず片付けの手を止めて、本を返しに行こうと部屋を出た。中庭を横切って彼が生活している部屋の方へと向かう。扉を開けて廊下へと進み、更にその先にある扉の方へと身体の向きを変えたその時、今まさにその扉の向こうへと消えようとしている金色の髪が見えた。
 その後ろ姿に声を投げかける事はしなかったが、少しだけ足を速めて後を追った。

「ガイ、いるか?」

 部屋の扉をノックして声を掛ける。同室のペールは庭で花の手入れをしていたので、ここにいるのはガイだけの筈だ。けれども一向に返事は返ってこなかった。
 ドアノブに手を掛けてみると、なんの抵抗もなく扉が開いた。不用心だと思いつつも僅かに空いた隙間から顔を覗かせて中の様子を窺った。
 しんと静まりかえった部屋の中には誰も居なかった。
 おかしい。
 確かにガイの姿を見てその後を追ってきた。屋敷の構造上この部屋から外へ行こうと思えば、先程通った廊下を経由しなければならない。もしくは窓という手もあるが、わざわざそんな面倒な事をする必要性を感じない。
 だとすれば、考えられるのはあと一つだけ。

(隣の部屋、か…?)

 だがそこは今は使われていないと聞く。そんな場所に一体なんの用があるのだろうか。
 そう思いつつも隣の部屋のドアを開いて中へと進入した。
 部屋の間取りは隣のガイ達の部屋とそう変わりはない。奥に配置された二つのベッドと、あとは中央にテーブルやソファが配置されている。もしかしたら昔は客室として使われていたのかもしれない。
 周りを見渡しながら奥へと進む。扉を開けた時から確かに違和感を感じていた。だがまさか、この屋敷にこんなものが存在していたとは夢にも思わなかった。移動されたベッドの横、めくられたカーペットの下に存在する入り口。そしてその先にあるであろう地下室。それは城の地下に存在するという罪人部屋を連想させた。
 だが間違いなく今この中にガイが居る。そこに何が居て、彼が何をしているのかは分からない。
 今すぐにでも中へと踏み行って確認したい衝動に駆られるが、ガイと鉢合わせる事が拙いことだけは分かる。ひとまず今は気持ちを抑える事にして、素早く踵を返すと己の部屋へと戻った。



 そこに居るのはやはり人間らしい。時間は多少ずれてはいるものの、一日三回食事を携えてガイはあの地下へと降りていくようだ。昼食を運んだ後は数時間そこから出てくる事はない。
 あれからガイの行動に注意するようになった。知りたいのは彼がいつ、どれだけの時間あの地下に滞在するのか。それさえ分かれば彼のいない時間帯にあそこへ降りる事が出来る。
 そうして一週間。
 毎日ほぼ同じサイクルで行動していると確信し今に至る。昼過ぎにガイが戻って来てから夕刻までの数時間が一番安全だと考えて、ここまでやって来た。ベッドをずらしカーペットをめくり、手探りで探し当てたスイッチを押すと間もなくあの時見た入り口が現れた。
 躊躇い無くその中へ足を踏み入れると、人の気配に反応して暗い通路に明かりが灯った。その明かりのおかげで危なげもなく先へと進むと、一枚の真っ白い扉へと突き当たった。外からしか施錠できないその扉は、明らかに何かを閉じこめるためのもの。
 何がそこに居るのかわからない不安はある。だが確かめなければならない。
 扉の前で一呼吸置いてからゆっくりと鍵を開けた。それから一気に扉を開きその内側へと身体を滑らせた。
 まず目に入ってきたのは真っ白な色彩。
 真っ白な部屋。
 そして鮮やかな朱色。

「ガイー?」

 振り返った子供の顔は、あまりにも己に似すぎていた。


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一応パラレルっぽいお話inファブレ邸です。
アッシュがルークなので非常にややこしい…。
ちなみにSide AのAはアッシュのAです。Side Gもありますが、そちらは玻璃様に押し付け予定(爆)
ガイルクですが完成した際にはよろしければそちらもどうぞ。
2007.10.30