「え、ヨザック戻って来てんの?」
眞魔国血盟城の政務室。
渡界したおれを待ち受けていたのは、溜まりに溜まった書類の山。回れ右して地球に戻りたくなるのを諦めて、椅子に座って今までずっとこうやって仕事をしている。まぁ、人間の地で不穏な動きがあったとかそういう訳で呼ばれたのでも無いから喜ぶべきなんだろうけど。
おれは渋谷有利。職業…魔王。生まれてから十五年、どこにでも居る平凡な男子高校生のはずだったおれを待ち受けていたのは、実は異世界の魔王なんですというなんとも奇妙なストーリー。水を介して毎回とんでもない異世界ツアーをするわけだが、もう少しマシな移動手段はないものかと思う。特に初回時の事はもう思い出したくも無い…。
さて、おれの身の上話を簡単に終えたところで、話は冒頭に戻る。
いつも各地を飛び回っているお庭番ことグリエ・ヨザックが眞魔国に戻ってきているとギュンターの口から聞いたのはつい先程。
「ええ、ヴォルテール城のグウェンダルの元へ報告に戻っているらしいですよ」
書類の山とのにらめっこばかりでは相当息が詰まる。息抜きのような会話は、それを察したギュンターの計らいだろう。
「グウェンダルのとこか…なぁ、ギュンター。ちょっと頼まれてくれない?」
声を掛けた瞬間パァァと明るくなったギュンターの顔は気にしないようにする。そうして彼が何かを言い出す前にそのまま言葉を続けた。
「ヨザックに伝言伝えて貰えないかな。もし用事終わって暇があるんだったら、こっち来て欲しい」
…って。あ、ギュンター泣いちゃった。あぁ、折角の超絶美形が台無し。『陛下ーっ、私よりもヨザックの方がよろしいんですかーっ!?』とかなんとか叫んで涙と鼻水の嵐。
こうなったらもう暫く彼は戻らない。
短くため息をついて、そっと政務室を抜け出して、近くに居る衛兵でも呼び止めようとした所、見知った人物の後ろ姿を捕らえた。
「ダカスコス!」
名前を呼ぶと相手は振り返ってこちらを見た。
「おや、陛下。お久しぶりです」
ギュンターに連れ回されて色々苦労したんだなぁ…と、彼の姿を見ると(特に頭)思わずには居られない。
「今、忙しいかな?ちょっと頼みたいことがあるんだけど。本当はギュンターに頼もうと思ったんだけど、ちょっと今そういう状態じゃなくなってさ」
あ、ちょっと気の毒そうな目で見られてる気がする。いや、それとも『分かります』って仲間の様な目?どっちにしても嬉しくはない。
「えっと、ちょっと軍曹殿に頼まれ事をしていまして。これを届けるだけなんですが、終わってからでもよろしいですか?」
見るとそんなに大きくない箱を数個抱えている。重さもそこまでは無さそうなそれは、医療器具か何かだろうと思う。
「だったら一緒に行っても良い?出来れば部屋戻りたくないし…。ギーゼラにも挨拶したいしさ」
きっとまだギュンターは泣いている。あの部屋で。
「そう言うことなら、良いですよ〜」
了承の返事にほっと息を吐く。
踵を返して歩き出すダカスコスの後に、おれは直ぐさま続いて歩き出した。
「まぁ、お久しぶりです、陛下」
「久しぶり、ギーゼラ!元気そうで良かった」
軍服に身を包んだ彼女は、驚くことにギュンターの娘らしい。おれにも娘が出来たわけだが、可愛くて可愛くて仕方がない。ギュンターもそうなんだろうか?しかしあの態度で可愛がられたらかなりうざ…いや、いささか過剰すぎるかも。
(はっ…!もしかしておれもグレタにそう思われてたりしてっ!?)
が―――ん!
人の振り見て我が振り直せとはよく言ったものだ。今度からちょっと考えて接することにしよう。万一嫌われたりでもしたら、おれ生きていけないかも…。
「陛下。陛下大丈夫ですか?」
自分の世界に入り込んで百面相を繰り広げていたおれを心配して、仕事を終えたダカスコスが呼びかける。気付けばギーゼラもこちらを心配そうに覗き込んでいる。
「あ、大丈夫。ごめんごめん」
「それで陛下、頼み事とは一体何ですか?」
ギーゼラの居るこの部屋で話を切りだしたのは、もし自分の手に余る物だったら彼女にも助力を頼めるという配慮からだろうか。
うぅ…ありがとうダカスコス。給料アップを今度ギュンターにでも進言してみようか。
「えーっと、ヴォルテール城に連絡付けたいんだけど、出来ないかな?出来れば至急に」
手紙でも人伝でも良いんだけど、おれにはどうすればいいのかサッパリ分からない。いつも先手を取って誰かがやってくれるから。
「あぁ、でしたら白鳩便ですかね〜」
「鳩?」
足の所に付けられた筒に小さく畳んだ手紙を入れて送るんですかっ。電話やメールが使えない世界とはいえ、そこまで古い手段なんですかそうですか。アニシナあたりなら何か発明してそうだけど、自分が実験台になるのは恐ろしい。
「手紙を頂ければすぐ飛ばせるようにしますよ」
と言われてふと気付く。まだこちらの文字は勉強途中で、おれは満足に使うことが出来ない。言語は分かっても文字は書けない…理不尽だ。それに以前みたいに独自に書き上げて渡して、何かあったら非常に困る。
「ごめん、おれまだ魔族語が満足に書けないんだよ」
「でしたら私が代わりにお書きしましょうか」
そう申し出てくれたのはギーゼラ。あぁ、本当に助かるしありがたい。
「ありがとう、ギーゼラ。えっと、ヨザックが戻ってるらしいから、暇ならこっちに顔出ししてくれないかって送って欲しいんだけど」
「あぁ、グェンダル閣下の所に戻ってるらしいですね。判りました、そうお送りしますね」
手早く近くの引き出しから紙とペンを取り出すと、さらさらと筆記していく。整った文字が(まだ完璧には読めないが)紙の上に並び、暫くした後にギーゼラの手が止まり、
「陛下、こちらに署名をお願いいたします」
と、にっこり笑ってペンを差し出した。
あ、仕上げはおれなのか。
渋谷有利、と地球の言葉で名前を記し、その下に魔族語で同じく署名する。最悪でもどちらかで判別してもらえるだろう。
「では、ヴォルテール城宛に出して参りますね」
ギーゼラはそう言い残して部屋を出て行った。
あれ、ダカスコスは?
そう思って周りを見ると、なんだかさっき運んできた荷物の整理をしている姿が目に入った。いつの間に仕事が増えたんだろう。
「じゃあおれはそろそろ政務室へ戻るよ。ギュンターも復活してる…と思いたいし」
復活したらしたでおれの名前を叫びながら城中を駆け回りそうだけど。小さい子供じゃないんだから、少しくらい居なくなったって問題ないと思うんだけど。それにおれにだって一人になりたい時だってある。
とりあえず目的は果たしたので心なし足どりは軽い。後は残った政務を片付けつつ、あちらの反応を待つだけだ。彼が来るか、それとも断りの手紙がやってくるかは判らないけれど。
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