ゆっくりと意識が浮上していく。
無音の世界に音が生まれ、やがて瞳に世界が映されるその刹那。
止まっていた時が動き出し、そしてまた物語の始まりが告げられる。
背に伝わる感触から寝台に寝かされていると気付いた。
次いでここは何処だろうと疑問に思うが、瞼を上げるのが酷く億劫だ。思わずこのままもう一度眠りについてしまいたいという誘惑に駆られるが、そんな自分を叱咤しながらゆっくりと目を開いた。
覚醒後のぼんやりとした意識の中、そっと手を持ち上げて顔の前に翳した。まだまともに力が入らないが、動かせる。その事に少し安堵した。次いで足に力を入れてみるが、こちらはまだ厳しいようだ。
心を落ち着かせるように深く息を吐く。
自分は今し方生まれたばかりの状態なのだろう。満足に動かない身体、薄暗い部屋、そして今となっては見慣れた譜業機械がそこに在るのに気付いた。
今までローレライの力を使い幾度か過去の世界を繰り返したが、いつの時点へ戻るのかは指定できなかった。ND2018・レムデーカン・レム・23の日
―――
あの全ての始まりの日に戻った時もあれば、気が付けば何故か自分がアッシュとして特務師団に就いていたという時もあった。今回はどうやらそれらよりももっと早い、本当に生まれたばかりの時間へと戻ってきたらしい。だがそれは好都合だった。
今ならば『ルーク』をそのまま屋敷に戻すことが出来る。彼から何も奪うこと無く、そして彼に苦痛を与える事も無く。本来あるべきままの姿にする事が出来るのだ。
「
―――
目覚めたか」
言葉と共に頭上に影が落ちた。
冷たい声色。
ゆっくりと顔を動かして見上げると、視界に映る見慣れた顔。かつて師と仰ぎ無邪気に慕っていた男が、侮蔑の色を含んだ目で見下ろしていた。
彼がゆっくりとこちらへ手を伸ばす。
それを今唯一自由に動かせる手で弾き返すと、しんと静まりかえった部屋にやけに大きな音が響き渡った。
「俺に触るな」
力一杯睨み付けると、男
―――
ヴァンは僅かに目を見開いた。まさか生まれたてのレプリカに嫌悪も露わに睨み付けられるとは思わなかったのだろう。けれども、もはや何も知らなかったあの頃のように素直に彼に好意を寄せる事など不可能だった。
「刷り込みはなされていないはずだ…何故、喋れる」
問いかけるでもなく呟く声。ただ自分の思う通りに事が進んでいないという一点に不満を滲ませているようだった。
目的の為には手段を選ばないかつての師の姿を冷めた目で見つめた。どうせ彼にとって己は今も昔もレプリカドール
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ただの道具でしかない。かつての自分ならば傷ついただろう視線や態度や言葉にも、生憎ともう何も感じやしない。
大切なものはただ一つだけなのだから。
その大切なものを守る為に、己には成すべき事がある。
「完全同位体だとは聞いたが…まさかそれが関係しているのか? ……まあいい、調べれば済む事だ」
そう言いながら捕らえようとする手を、先程よりも強く弾いた。反動で寝台から転がり落ちる。
「……やっぱ生まれて直ぐじゃ思うように身体は動かねぇか」
言うことをきかない身体にもどかしさを覚えつつもなんとか上体を起こす。寝台に居た時よりも更にヴァンを見上げる事になったのは気にくわないが仕方ない。
見下ろす彼と視線が交わる。
それにふわりと微笑み、そして問いかけた。
「ねぇ、ヴァン師匠。ルークは何処?」
教えてもいないのに告げられた二つの名。
それを聞いたヴァンは今度こそ驚嘆する。ありえない、と。ルークのレプリカを作れと命令を受けたディストが、わざわざ余計な事を刷り込むとは思えない。そしてそう考えると何故この生まれたてのレプリカが知っているのか説明がつかない。
「俺のオリジナルは、何処?」
更に告げられた言葉に驚く。
レプリカである事ですら知っているというのか。
ヴァンの中で目の前のレプリカに対する感情が、驚きから恐怖へと変わる。自分は何も知らないただの人形を作らせたはずだ。だというのに、目の前のこれは一体何だ?
頭の中で警笛が鳴る。これは危険だ。生かしておけばこの先必ずや後悔することになると、しきりに告げる声がする。
彼から目を合わせたまま腰に帯びた剣へと手を伸ばす。そのまま剣を抜いて一撃で切り伏せる
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そのはずだった。
「俺を殺そうとしても無駄だよ。だって俺の方が強いから」
彼の周りを舞う黄金の粒子、第七音素。
それらが引き起こす事象に思い至り思わず息を呑んだ。このまま剣を抜き仇なそうとすれば、彼は躊躇いも無くその力を行使するだろう。超振動
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あらゆる物質を破壊する力を。オリジナルの持つ、単体で超振動を起こせるという希有な力を同位体である彼も確かに受け継いでいるようだ。
そしておそらく、こちらの剣が届くよりも超振動の発動の方が速い。己の命を懸けてまで試してみる気にはなれなかった。
「……案内しよう」
素直に敵わないと諦め、まだ満足に動けないレプリカに向けて手を差し出した。