猩々緋 -2-



 動かない足で、それでも必死にヴァンの後を追った。
 結局彼の腕を取ることなく案内された部屋まで自力で歩いてきた。やはりまだ自由には動かない足ではいつもの何倍もの時間を要したが、それでも彼の手を借りるのだけは御免だった。気力だけでここまでやってきたと言ってもいい。
 見張りの兵がヴァンの命令を受けて左右に退き扉を開く。
 その中へ躊躇いなく踏み入った。
 
 奥に置かれたベッド以外何もない部屋。薄暗く、そしてきっちりと施錠され見張りが付いていたこの部屋はまるで牢獄のようだ。中は一応改修され綺麗に整えてはあるが、王家の血を引くルーク・フォン・ファブレに対する扱いとしては全く話にならない。
 見張るように扉の前に立つヴァンに文句の一つでもぶつけてやりたい所だが、今はそれよりも優先すべき事がある。
 そっとベッドの傍らに寄り添うと、そこに眠る少年の姿を確認する。

「ルーク……」

 愛おしげに名を呟き、彼の青白い頬に手を伸ばしてそっと触れた。冷たい感触。酷く具合が悪そうに見えるのは、レプリカ情報をとられたせいだろう。
 運が悪ければ死んでしまうというこの行為を平気で行ったヴァンに怒りが沸き上がる。だが、それが無ければ自分は生まれて来なかったのだと思うと複雑な気分だ。
 レプリカである自分は本当は生まれてきてはいけなかったのだろうかと、過去に幾度と無く考え悩んできた。屋敷で無為に生きてきた頃にはそんなこと思いもしなかったが、あの日偶然に屋敷の外へと出た自分はこの目で世界を見た。幾多の罪を犯し背負いながらも、その世界を守るために戦った。
 そうして最後に自らの命と世界を天秤に掛けた時、初めて生きたいと強く願った。生まれてきた事を罪だと思えども生きたかった。そして己の生と同時に、アッシュの生をも願った。完全同位体である自分たちの行く末を思えば無理な願いだとはわかっていたけれど、それでもそう願っていたのだ。……ローレライの力を使い繰り返した過去の世界の中で、それは一度たりとも叶う事は無かったのだけれども。
 二つを望むことが許されないのならば、今度は一つだけを願うと決めた。
 ローレライの解放の時、第七音素に包まれたあの空間の中で見たアッシュの姿。閉じられた瞳はもう二度と開くことはなく、同じ鼓動はもう響かない。半身をもがれた傷みは耐えられるものではなかった。
 もう二度とあんな思いはしたくない。
 だから何に代えたとしても彼だけは守り抜く。
 その為に自分はこうして生きているのだ。

 ぐったりと横たわるルークの手を両手で掬い取り、そっと目を閉じて口を開く。

「癒しの光よ ――― ヒール」

 紡がれるは癒しの言霊。
 あたたかな光がルークを包み込み癒していく。やがて呼び声に応えてくれた音素達が役目を終えて空に消える刹那、心の中でそっと感謝の言葉を綴った。
 それから随分と頬に赤みが戻ってきたルークの姿を見て、ほっと安堵の声を漏らした。まだ完全に回復したとは言えないがそれでも先程に比べれば随分と良くなっただろう。呼吸も今は穏やかだ。そっと手を伸ばして彼の頬に触れ、次いで髪へと触れた。己の物より色の濃い綺麗な深紅の髪。サラサラと指の間からこぼれ落ちる髪を何度か梳いた後、名残惜しげに手を離した。

 踵を返して入り口で待つヴァンの元へと歩き出す。
 譜術を使う様を目にした彼は何か言いたそうな顔をしていたが、わざわざ説明してやるつもりなど毛頭ない。
 時間を掛けて一歩一歩前へと進み、やがて彼の目の前に辿り着くとその姿を見上げた。ゆっくりと息を吸って吐きだし、それからゆっくりと言葉を紡ぎ出した。

「ルークが回復したら記憶を消してファブレの家に帰せ。ここには俺が残る」

 ヴァンはオリジナルを手元に残したがっている。何度か繰り返した過去の中でも、自分が彼の元に残った回数は極僅かだった。劣化が見られるレプリカよりも完全な力を持ち得るオリジナルの方が彼の計画に役立つ。それは何度か彼自身の口から実際に告げられた事実。所詮彼にとってレプリカなど使い捨ての駒に過ぎないのだ。
 けれど、今この状況で彼がルークを手元に残すことはないだろう。そうなるように仕向けた。
 知らないはずのを事を話し、超振動や譜術をも扱って見せた。このままルークの代わりにバチカルへと戻せば大変な事になるのだと知らしめた。
 勿論他に方法が無い訳ではなく、記憶を封じるか消してしまえば本来そうあるべきレプリカの姿へと戻るだろう。だがそれを甘んじて受けてやるつもりなど無いし、この部屋へと来る前に対峙した時の様子から彼が無謀にも仕掛けて来るとも思えない。
 よって彼には従うしか術が無いのだ。

 やがてヴァンは頷いた。

「近いうちにルークはバチカルに帰そう。その代わりにおまえは私の下で働いて貰う」

 そう言って向けられたのは値踏みでもするような視線。決して気分の良いものではないそれに嫌悪も露わに睨み付けると、ヴァンは少しだけ目を見開いた後唇に笑みを刷いた。

「呼びかけるのにも名が無いと不便か。そうだな……ルークが《聖なる炎の光》ならばおまえは ――― ア」
「アーク」

 ヴァンの言葉を遮ってはっきりと告げた。

「俺の名は、アークだ」

 聖なる炎の灰 ――― アッシュ。六神将として生きた彼の名前。《ルーク》を奪われた彼が、それでも確かに生きていたという証。
 それすらもう奪いたくはなかった。

 だから、《ルーク》でも無く《アッシュ》でも無い新しい名で生きると、そう決めたのだ。


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ようやく名前が出せたー。
定番ですが好きなんです、アーク。
2007.12.07