猩々緋 -12-


 翌日早朝、まだ日が昇りきらぬうちにアッシュは目覚めた。素早く身支度を整え、少し考えた後に隣で眠るティアへと声を掛ける。いっそ置いていこうかとも思ったが、後で騒がれても困ると考え直す。それに、彼女の譜歌だけは今後何かと役に立つだろう。
 起こされたティアは、寝起きのせいか初めは不機嫌そうな態度を見せたものの、出発するというアッシュに黙って従った。身支度を整え、昨日買って置いたパンとミルクで簡単に朝食を済ませると、二人は宿を後にした。



 エンゲーブを出て北へ暫く進むと、やがて大きな森へと辿り着いた。実際に来るのは初めての筈だが、今はルークの記憶が有るためにそうは思えない。自分のものではない記憶があるというのは何とも不思議な感覚だ。
 ここで待っていればいずれ導師イオンがやってくる。記憶では森の入り口で魔物に襲われていた所に遭遇していたが、ここで彼に力を使わせて無理をさせたくない。そう思ってわざと時間をずらしてここへとやって来たのだ。
 辺りを軽く見渡して座れそうな木の根を見つけると、アッシュはそこへ腰を下ろした。それに合わせてティアも適度な場所を見つけて腰を下ろす。訊いても無駄だと思ったのか何も問われなかった。
 ここからなら森の入り口を見渡せる。万が一にもイオンとすれ違う事はないだろう。……彼が過去と同じ道を辿ってくれればの話だが。
 エンゲーブから真っ直ぐ来ればまず大丈夫だろうが、記憶している時間を過ぎても彼が現れなかった場合は森へ入って探すつもりではある。タルタロスに乗り込む方法は多々あるが、ここでイオンと出会う事が最良の方法だ。街中では人目がある。こちらにとってもあちらにとっても、人気の無いこの森の方が色々と都合が良いのだ。

 そうして暫く待っていると、こちらへやってくる人影が視界に映った。穏やかな緑の色彩は見間違いようがない。導師イオンだ。供を付けずに一人で出歩くというのは感心しないが、今は都合が良いので黙っておくことにする。
 ゆっくりと立ち上がると、相手も気付いたようで少し驚いたような表情を浮かべて立ち止まった。アッシュは声の届く場所まで歩み寄り挨拶を述べる。

「初めまして、導師イオン。私の名はルーク・フォン・ファブレと申します。訳有って現在マルクト領におりますが、敵意が無いとはいえ私はここでは敵国の者。今後私の事は"アッシュ"とお呼びください」
「ファブレ……そうですか、あなたが。わかりました、アッシュ」

 アッシュの意を汲んだイオンが微笑む。
 アッシュはそんなイオンの様子を注意深く窺ったが、期待していた反応は得られなかった。かつて六神将として教団にいた頃、"アッシュ"の名は鮮血の二つ名と共にそれなりに知られていた。導師ならば耳にしたことも、もしかしたら会ったこともあるのではないかと思ったが、彼が反応を示したのはファブレの名のみのようだった。
 何か嫌な予感がする。
 自分がファブレの家に残されているならば、当然彼が教団にいるものだと決めつけていた。もしそうでないとすれば事態はかなり好ましくない。ただでさえ厄介事に巻き込んでくれたというのに、この上探し出す手間まで掛けさせるようなら次に会ったら絶対に一発殴ってやろう。手加減抜きで。
 そんな物騒な事を考え始めたアッシュをよそに、ティアも続いて名乗りをあげた。

「私は神託の盾騎士団モース大詠師旗下情報部、第一小隊所属ティア・グランツ響長であります」
「あなたがヴァンの妹ですか。噂には聞いています。お会いするのは初めてですね」
「ええ。でも、どうして導師がこのような場所に?」
「僕は……」

 ティアの問いかけにイオンが答えようとした所で、森の奥から何かの鳴き声が聞こえた。それからガサガサと茂みが揺れる音がしたかと思うと、そこからパステルカラーの小さな生き物が顔を覗かせた。見るからに草食らしきその魔物の子供は、じっとこちらを見つめると素早く森の奥へと逃げていった。「あれは……チーグルです」

 ローレライ教団の象徴とも呼ばれる彼らを捜してイオンはこの森へとやってきた。エンゲーブで起きた盗難事件を調べていた所、チーグルの残した痕跡へと辿り着いた。一緒に居た者たちはこれ以上関わる必要はないと言っていたが、イオンには放っておくことが出来なかった。

「行くぞ」

 チーグルの消えた場所を見つめながら、アッシュが先頭に立って歩き始める。
彼らには何も伝えてはいない。もしかしたらエンゲーブで騒ぎを聞きつけていたのかもしれないが、直接関わっていない彼らには自分に付き合ってくれる理由が無い。だが、少なくとも彼 ――― アッシュの事は信用しても良い気がした。彼について話だけは聞いていたというのもあるが、実際に会ってみて確信が持てた。

「はい!」

 さりげなく魔物からかばうように立ち動いてくれるアッシュの後を、イオンも早足で追いかけた。



 森の奥深くに、チーグル達の住処がある。
 小さなチーグルの子供を追い、何千年も前からここにあるのではないかと思わせる程の大樹へと辿り着いた。幹の根本には大きな穴が開いており、その前にはエンゲーブの焼き印のついたリンゴが散らばっていた。
穴を潜って中へと入ると、三人は色とりどりのチーグルたちに取り囲まれた。数が多いだけにみゅうみゅうという鳴き声もかなり大きくてうるさい。だが乱暴に扱う訳にもいかず戸惑っていると、奥の暗がりから年老いた一匹のチーグルが現れた。それと共に周りのチーグルたちが一瞬で静かになり道を空ける。「わしがチーグル族の長だ。我らはおまえたちを歓迎しよう」

 両手に大きなリングを抱えた長老と名乗るチーグルは人の言葉を喋った。
 それに驚いたのはイオンとティア。ソーサラーリングの力の為だと知っているアッシュは、長老の話を聞くまでもなかった。
 リングの説明を終えて一息ついた後、長老は改めて口を開いた。

「話はミュウから伺っておる。そなたがルーク殿か?」

 ローレライ教団の導師であるイオンではなく、チーグル族の長老はアッシュを前に問いかける。
 アッシュは彼に名乗ってなどいない。それなのに名が知られているというのはどういう事なのか。"ルーク"の名を知っている誰かが伝えたのか、それとも ―――。
 考え込むアッシュの足下から軽い衝撃が 響く。何かと思い見下ろしてみれば、小さなパステルブルーのチーグルが一匹しがみつきながらこちらを見上げていた。いつの間に長老から受け取ったのか、腰にソーサラーリングをつけている。

「アッシュさん! ご主人様はどうしたですの!?」

 ルークの名を知っていたばかりか、自分をアッシュだと見抜いたチーグルの子供。もはや疑いようがなかった。

「おまえ、記憶が……?」

 アッシュの問いに、チーグルの子供 ――― ミュウは頷いた。



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実は今回ミュウも記憶持ちの逆行組。
繰り返しの中で時折逆行してくる人もいたのですが、本編には書ける場面がないという。
ヴァン師匠の逆行時の番外SSが書きかけて放置してあったりもします…。いつか出せたらいいな。

2010.11.16