猩々緋 -11-


 食料の街、エンゲーブ。
 マルクト帝国の首都グランコクマへ向かうという辻馬車から降り、アッシュとティアの二人はその長閑な街へと入った。田や畑に挟まれた道を進み、村の奧を目指していく。幾度かこの場所に立ち寄った事のあるアッシュの足取りに迷いは無く、暫く歩くと目的の宿が見えてきたが、その前には人集りが出来ていた。

「何かあったのかしら」

 顔を付き合わせて何かを話し合っている様子の村人達の方へと視線を向けて、ティアが小声で呟く。
 そんなティアの横で、アッシュはしばしルークの記憶を探った。明らかに不穏な気配漂う彼らに不用意に近付くつもりは無いが、一体何が起こっているのか把握しておくのが得策だろう。歩みを止めることなくアッシュは意識を集中させた。
 その為、アッシュは急速に近付いてくる気配に気付くのが遅れた。
 何かが勢い良くぶつかってきた衝撃と共に、少女の叫び声が辺りに響いた。

「きゃっ! ごめんなさ……」

 視線を少し下げると、慌てて体勢を整えた少女と目があった。黒髪のツインテールが揺れる。ピンク基調の教団服に身を包み、肩に黄色い人形を背負う少女はかつてルークと共に旅をした仲間の一人だった。導師イオンのレプリカの一人を護る導師守護役―――アニス・タトリン奏長。

「……っ!?」

 ぶつかってしまった相手に謝罪の言葉を口にしようとしていたアニスは、アッシュの顔を見た途端にギクリと固まった。信じられないものを見るような目でアッシュを見た後、彼女の顔に浮かんだのは恐怖の色。
 アッシュにとってこの世界では初対面となる彼女が、自分―――この顔を見て怯える理由。考え得る可能性は唯一つだけしかありえない。

「おい、ガキ。知っているなら答えろ。……アイツは今、何処に居る?」

 逸るあまりに口調が数割り増しできつくなってしまった問いかけに、アニスはビクリと震えた。だが、アッシュのその言葉で人違いだったのだと気付いたようで、恐怖を振り払うように唇を引き結ぶと顔を上げる。ぎこちないながらも笑みを浮かべ、彼女は真っ直ぐにアッシュを見上げた。

「えーっとぉ、ちょっと知ってる人に似てると思ったんですけど、よく見たら私の気のせいだったみたいですぅ。それじゃあ私、急ぎ人を捜してるんで!」
「おい……!」

 引き留める暇すら与えずにアニスはその場から走り去っていった。あっという間に遠ざかる後ろ姿を視界に収めつつ、アッシュは乱暴に前髪を掻き上げた。身体能力の差を考えれば、今から後を追ったとしても追いつけるだろう。だが、そんな気はとうに失せてしまった。
 それに、今を逃したとしても再会するまでそう時間は掛からない。問いつめるなら、退路の無いその場所で。
 口元に僅かに笑みを浮かべ、アッシュは再び歩き出した。
 その後を、事情が読み込めずに呆然としていたティアが我に返って慌てて追いかけていった。



 宿の一階の受付でチェックインを終え、二人は宛われた部屋へと向かった。二人部屋しか空いていなかったが、どうせ野宿となれば雑魚寝なのだ。温かな部屋のベッドで休めるだけでもマシだと割り切った。それに、今後に備えて少しでも体力は回復しておくべきだ。
 アッシュは部屋に備えてある水差しから冷たい水を二つのコップへと注ぐと、片方をティアへと手渡した。ベッドに腰掛けてコップに口を付けると、冷たい水が身体に染み渡って心地良い。どうやら思った以上にのどが渇いていたらしい。実際とばされてから今までろくに水も食料も口にしていなかったのだから、それも当然かと思い直した。コップの中身は直ぐに空になった。
 のどを潤し、足を休めて落ち着いた所で、躊躇いがちにティアが口を開いた。

「あなたはこの街に来た事があるの?」

 ティアにとって、それは疑問に思う事だった。
 エンゲーブは小さく長閑な農業の街だ。緑にあふれた畑と果樹園、そして家畜の飼育場。建物といえば、街の住民が暮らす家の他には、収穫された作物を売る市と、立ち寄る旅人の為の宿くらいしかない。確かに他の街に比べてエンゲーブの街はわかりやすい構造をしているのかもしれない。
 だが、初めて来たにしては足取りに迷いが無さ過ぎた。実際に、彼は一度も脇目を振らずにこの宿までたどり着いた。自分にそれが出来たかと問われれば、答えは否。だから、尚更それが疑問に思えたのだ。
 訊きたい事なら他にもある。夜の渓谷にはびこる魔物に襲われた時、剣を構えてそれらに対峙した彼の動き。流れるような動作で剣戟を繰り出す様は、戦いに慣れた者の見せるものだった。バチカルのファブレ邸で軟禁生活を強いられてきた彼に、それ程の実戦経験があるとは思えない。たとえ、剣の師があの兄だとしても、だ。
 何故、と問い掛けてみたいとは思うし、絶対に答えては貰えないだろうともわかる。だから、エンゲーブにたどり着くまでに何度も機会はあったが、ティアは訊かなかった。

「いや、初めてだ。以前見た街の地図を覚えていたから迷わなかっただけだ」

 淀みのない言葉。
 王族がおいそれと敵国の領地へ足を踏み入れられる機会など殆ど無い。両国間に和平が成り立てば別だが、敵国同士睨み合っている状態ではある例外 ――― 戦争以外では立ち入る事は無いだろう。キムラスカとマルクト間で最近起こった大きな戦争といえば、ND2002のホド戦争となる。当時2歳の幼子だった "ルーク" がそれに関われる筈もない。

「それよりも、今後俺の事は "アッシュ" と呼べ。 "ルーク" という名はキムラスカの王族として周知されている。敵国に当たるマルクト領でその名を使うのは得策ではないからな。それに ―――」
「?」
「……いや、何でもない」

 それはもう、既に自分のものではない。
 頭の中に確かに浮かんだ言葉は、何故か口に出せなかった。

「明日も早い。食事を済ませたら俺はもう休む」

 ふと目にした窓の外で、夕焼け色が夜の色と交じり合っていく。
 レムからルナへと支配者が移り変わる時間。
 まだ髪の長かった頃の彼を思い出す色彩が、まるで闇にのまれていくように思えて。それがアッシュの胸の内に少しだけ翳りを落とした。


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全然進んでないじゃないか……orz
しかもものすごくお久しぶりでございます。10の更新日付が一年以上前だなんてそんな馬鹿な。
とりあえず、オンリー終わったらこちらに集中したいです。

2010.02.14