猩々緋 -4-



「……で、何でこんな場所にローレライ教団最高位の導師様がいらっしゃる訳ですか? 導師ってそんなに暇な職でしたっけ?」

 まるでここが自分の部屋であるとばかりにくつろぐ相手に、アークは心底うんざりという響きを込めて問いかけた。あまりに忙しく戦地へ飛ばされ続けていたのにいい加減嫌気が差し、ヴァンに少し脅しをかけてもぎ取った貴重な休暇。漸く誰とも顔を合わす事もなく一人きりでゆっくり出来ると思い部屋に引き込んだまでは良かったが、突然の来訪者の為にそれも終わりを告げてしまった。あまりに短い休息の時間だったとため息が漏れるのも仕方ないだろう。

「別に暇って訳でも無いんですけどね。やる事ならそれこそ山程ある。けれど、正直に言うと僕は導師の仕事ってのが好きじゃないんですよ」

 そう言いながら優雅にティータイムと決め込んでいるのはローレライ教団の導師であるイオン。特務師団の師団長であり六神将の一人であるアークとて滅多に会う事の出来ない高位の彼が、何故か時折フラリとやって来てはこうしてくつろいでいく。初回こそ一応敬意を払ってもてなしてみたものの、あまりに頻度が多いので早々それも放棄した。
 その結果がこれだ。
 勝手知ったる他人の家とは言うが、彼は今ではすっかりとアークの私物のティーセットを持ち出して自らお茶を淹れている。温かな紅茶の入ったティーカップを手に、「お茶菓子は無いんですか?」と笑顔で問われた時の事が今でもまだ鮮明に記憶に残っている。それから菓子を常備するようになった自分もどうかとは思うが。

「今頃アリエッタが泣きながら捜してますよ。もう戻ったらどうです?」

 彼の導師守護役である桃色の髪の少女。イオンの事が大好きな彼女は、こうしてイオンが抜け出してここへやって来ている時にはいつも泣きながら彼の事を捜し回っている。友達である魔物を従えて神託の盾本部の中を駆け回る彼女の姿は、もはや兵達にとって見慣れたものとなっているという。
 彼女がこの部屋を見つけたその時が、この奇妙な時間が終わる時。
 だがそれまでにはそこそこの時間が掛かる事を、アークが誰よりも理解している。他人と極力関わりを持ちたくないという理由から、アークはこの部屋に目眩ましの術を掛けている。元々奥まった目立たない場所に位置するこの部屋を更に人目に付かないようにしているので、そう簡単には辿り着くことが出来ない。まず第一に、アークの部屋へ行くという明確な意志が無ければ、部屋の前にやってきてもそこに部屋が存在しているという事にすら気付けない。
 故に、いくらアリエッタと鼻の利く魔物達でもここを見付けるのに相応の時間が掛かるのだ。
 だからこそ、まるで術が効いていないかのように普通に訪ねてくるイオンに疑問を抱かずにはいられない。一応一度だけ術を重ね掛けしてみたりもしたが、あっさりとそれを越えてやって来られた時点で色々と諦めた。それに立場的に来訪を拒める相手でもない所が厄介だ。これがヴァンとか同じく六神将の誰かなら門前払い出来るものを。

「うんざりって顔をしている。たとえ心の中ではそう思っても、自分より身分の高い者は敬うべきですよ、アーク。運が悪ければ不敬罪と見なされて処分の対象にされる」
「今すぐに解雇でもして貰えればこちらとしては嬉しいんですがね。正直特務師団長や六神将って地位も、俺にはただの重荷でしかない」

 その名の下に、戦場へと強制的に送り出す為の鎖。いくら退位を申し出ようとも決して受け入れられる事は無く、アークをこのダアトに繋ぎ止めるもの。
 本当はそんなものは何の意味を成さない事をいくらヴァンとてわかっているだろう。
 実際に出て行こうと思えば幾らでも出て行ける。たとえ同僚や部下が行く手を阻もうとしても、彼らを躊躇い無く切り捨てて先へと進むだろう。それが可能な実力は十分にある。
 結局の所、ここに残っているのはそれが一番都合が良いからに他ならない。ルークの情報も手に入る上、ヴァンの動向も逐一知る事が出来る。更には、アークがここに居る事はヴァンへの牽制にもなる。
 ――― まぁ、それもND2018のあの日までの事ではあるけれども。

「それは駄目。こんなに面白いモノ、絶対に手放してなんかやらない」

 まるで頭の中を見透かしたかのようにイオンがそう言って微笑む。あの優しい彼の人の浮かべた微笑みと、同じであるのに違うそれ。

「お前は、レプリカは嫌いなんじゃなかったのか?」

 今目の前に居るのはオリジナルのイオン。彼は預言を、そして預言に従い作られる予定のレプリカを何より憎んでいる。

「ええ、大嫌いですよ。でもあなたは僕のレプリカではない。確かにレプリカは嫌いですが、別にあなたは僕に成り代わろうとする訳でも害成す訳でも無いですから。それに、個人的にはあなたの事が気に入ってるんです」
「そんなのわかんないぜ? 俺にだって触れられたくない領域ってものがある。幾らお前でもそこに足を踏み入れてくれば躊躇い無く排除する」

 裏を返せばそれさえ守れば手出しはしないという事だ。元々アークにとってそれ以上に大事な事など無い。

「"聖なる焔の光"」
「!」
「預言を覆す為に今のうちに殺しておくと言ったら………どうします? 預言を破る手段としては他にもありますが、護り続けるよりもそっちの方が断然楽ですから」

 冗談なのか本気なのか、悟らせない笑みを浮かべながら淡々と言い放つイオンを、アークは殺気を込めて睨み付けた。聖なる焔の光 ――― ルークは己にとって唯一の存在。彼に害成す者はたとえ誰であろうと見逃すつもりはない。もしイオンが本気ならこの場で剣を抜くことさえ躊躇わない。
 腰に佩いた剣の柄に指を添え、イオンの反応を待った。

「冗談ですよ。だからその殺気を解いて下さい」
「嘘付け。目がそうは言ってねぇ」

 フッと苦笑を浮かべ、静かに席を立ったイオンが傍らへと歩み寄る。
 イオンが居るのにもかかわらずベッドに横になっていたアークは、ゆっくりと身体を起こしイオンを見た。
 真っ直ぐに正面へとやって来たイオンは、目の高さを合わせるように少しだけかがみ込むと、アークの方へと手を伸ばし彼の顎を掬った。

「……全てを憎む目をしている。預言やこのくだらない世界に囚われる事無い、良い目だ」
「ええ、大嫌いですから」

 特に抵抗もせずされるがままにしながら、アークは極上の笑みを浮かべた。紡がれた言葉は偽りの無い本心。この世界はただの一度たりとも"ルーク"と"アッシュ"に優しい事など無かった。
 もはやかつてのように世界を救おうとは思っていない。ただ、世界が無ければ彼が生きられないから壊れないように守るだけだ。

「全て壊してしまえれば良いのに。僕はいつもそう思います」

 そんな事は出来る筈もないけれど。
 既に命のカウントダウンは始まっている。命尽きたその後に自分の代わりに導師イオンを引き継ぐレプリカを生み出す計画も動き出した。この世界はもはや"オリジナルイオン"を必要としていない。
 自嘲めいた笑みを浮かべ、イオンはアークから手を離す。
 
 その一瞬後、大きな音をたてて部屋の扉が開かれた。

「イオン様 ――― っ!!」

 導師守護役の少女と、彼女の引き連れている魔物達が勢い良く部屋の中へと雪崩れ込んでくる。扉が壊れなかったのが不思議なくらいの勢いでやって来た彼らは、イオンの姿を見出すと傍らへと駆け寄った。

「アリエッタ」

 名を呼ばれその姿を確認して、漸くアリエッタの顔に笑顔が戻る。既に涙でぐしゃぐしゃになっていた為に、泣き笑いのように見えるのもいつもの事だ。

「イオン様……凄く捜した、です……」
「すみませんアリエッタ。少しアークと話をしていたんです」

 名を出されて、そこで初めてアリエッタはベッドの上のアークに気付く。同じ六神将の任に付く、赤い髪緑の瞳の青年。いつもイオンが彼の元に行ってしまうのでそこは悔しく思っているが、アリエッタは彼の事が嫌いではなかった。
 初めて会った時に彼はアリエッタの頭を撫でて微笑んでくれた。隣に寄り添う魔物達の姿に驚く事もなく、それどころか彼らにまで挨拶するかのように手を伸ばして撫でてくれたのだ。そんな人は初めてだった。

「アーク」
 
 名を呼べば、彼はやはり優しい笑みを浮かべた。

「アリエッタ、そこにあるお菓子はおみやげに持っていってもいいよ」

 テーブルの上にラッピングされた袋が置かれている。アリエッタがイオンを捜しにアークの部屋を訪れるようになってから、いつしか用意されるようになったもの。

「ありがとう……です、アーク」

 それを手にとって大事に抱えると、アリエッタは再びイオンへと向き直る。「戻りましょう」という言葉は、声にしなくとも既に彼に伝わっている筈。
 イオンもわかったというように彼女に微笑む。

「それではアーク、失礼しました」

 部屋を埋め尽くす程の魔物を引き連れてアリエッタが先に部屋を出る。イオンもそれに続いて歩き出したが、扉の前へと辿り着くと足を止めて振り返った。

「さっき言ったことは本当に冗談です。……でも僕は預言に殺されるよりも、あなたに殺されたいとも思う」
「……誰が殺してなんかやるかよ」
「それは残念です」

 一瞬だけ悲しい笑みを浮かべ、イオンは扉の向こうへと消えた。


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イオルクではありません(笑)
腹黒設定のレプリカイオン様も好きですが、最初から真っ黒のオリジナルも好きです。
黒 vs 黒って楽しすぎる(爆)
アークはイオンもアリエッタも好きではありますが、いざとなれば切り捨てる事にも躊躇いは無いです。
2008.03.23