猩々緋 -7-



 食堂へ足を踏み入れた途端、辺りにざわめきが起こった。
 神託の盾騎士団本部内にある一般兵士用食堂。食事時ともなればここはかなりの数の兵で賑わいを見せる。だが、その名の通り利用するのは一般兵が殆どで、身分の高い者は滅多に訪れない。
 故に、彼らの視線が集まるのも当然と言えた。

「あー……うぜぇ」
「仕方ないよ、アーク。ここじゃ僕らの方が余所者なんだし。それに僕のこの容姿じゃ、ね……」

 向けられる幾多の視線に、うんざりという様子で髪を掻き上げるアーク。腰まで伸ばされた髪は、朱から金へと変わるグラデーションを成していた。その髪の色と、六神将の法衣の組み合わせが思わず目を奪われる程に映えている。
 その隣に立つのは、ダアトでは見知らぬ者は居ない導師イオンと瓜二つの少年。だが髪型や色彩こそ導師と同じであるが、彼が着ている服は白の法衣ではなく、アークの物に似た黒の法衣。ヴァン謡将が利用しようと隠していたイオンレプリカの一人である彼を、救い出して傍に置いたのはアークだった。周りに導師イオンの影武者と呼ばれている彼は、今では特務師団の副師団長としてアークの下に就いている。

「さっさと用事を済ませて戻るか、フローリアン」
「そうだね」

 アークの言葉にフローリアンが同意を示す。それと同時に歩き出したアークの後に、フローリアンも続いた。
 テーブルの間をすり抜けて、とある一角へと真っ直ぐに進む。何処へ向かっているのかに気付いた兵達がいっそうざわついたが、二人は気に留めなかった。そして、彼らの目指す先のテーブルに着く二人もまた周りを気に留めては居なかった。まるでそこだけ別空間であるかのように、ただ黙々と食事を続けている。
 そのテーブルの脇へと近寄ると、アークは足を止めた。
 その為にテーブルに影が落ち、それに気が付いた男が顔を上げた。

「このディスト様に、何か用ですか?」

 ジロリ、と眉間に皺寄せた顔で睨み付ける男に、思わず苦笑を漏らす。食事のひとときを邪魔された事が余程気に入らなかったのだろう。睨み付けた相手がアークだとわかってもなお、彼は態度を改めない。けれども、アークはディストが嫌いではなかった。

「生憎と、用があるのはあんたにじゃないんだ」

 そう言って、アークはディストから視線を移して彼の向かいに座る少女を見た。
 しっかりと先程の話に気を向けていた彼女は、アークの矛先が自分へと向いた事を感じ取って顔を上げた。真っ直ぐに見つめてくる翡翠の瞳に一瞬たじろぎを見せたが、彼女は持ち前の強さでぐっと堪え挑むような眼差しを向けてきた。その視線に懐かしさを感じ、アークは口元に僅かに笑みを浮かべた。

「アニス・タトリン奏長、だね? 話があるんだ。少し時間いいかな?」

 否と言わせない響きを込めて問う。
 案の定、困惑と疑惑の色をにじませながらもアニスはアークの言葉に頷いた。彼女は大半食べ終えた皿へと視線を移すと、残った一欠けらのオムライスをスプーンで掬い上げて口に放った。

「あ、片付けは僕がやっておくからいいよ」
「え……あ、ありがとうございます」

 既に歩き出したアークと、声を掛けたフローリアンと。二人を見比べた後、アニスは礼だけ告げて慌ててアークの後を追って走り出した。


「ごめんねディスト。可愛い女の子の方が良いとは思うけど、今回は僕で我慢して?」
「別に、私は一人でも……」
「意地張ったってバレバレだよ。ったく、あなたもアークも本当に素直じゃないんだから」

 先程までアニスが座っていた席に着いて、いつの間に頼んだのか、近くにいた兵が運んできたパフェをつつきながらフローリアンが苦笑する。

「……食べないの?」
「……っ、食べますよ! 食べればいいんでしょう!?」

 ディストの前にもフローリアンと同じパフェが置かれているが、未だ手が付けられていない。色とりどりのフルーツと共に頂上に置かれたアイスクリームがそろそろ溶け始めている。既にフローリアンのパフェは半分以下に減っていて、要らなければ貰うよという音なき声を聞き取ったディストは、慌ててスプーンを握った。
 本当は嬉しい癖に、それを表に出すのは嫌らしい。仕方ないといった様子でスプーンでパフェをつつき始めたディストの表情は、誰から見ても幸せ一杯であった。

「さて、と。そろそろアークの話も終わっただろうし、僕はもう行くよ」

 ディストがパフェを食べ終わった頃合いを見計らって、フローリアンは席を立った。ディストに挨拶を告げて、アークの元へ合流しようと歩き出そうとした時。

「……たまには検査を受けに来なさい。貴方もアークも、普通の身体ではないんですから」
「うん。ありがとう、ディスト」

 そっぽを向きながら呟かれた言葉に、やっぱり素直じゃ無いなぁとフローリアンは笑った。



 食堂から出て、死角となる建物の裏手へと回る。辺りに人の気配が無いのを確かめると、アークは足を止めて振り返った。それを見たアニスがビクリと肩を振るわせ、同じく足を止めた。何かあっても逃げられるようにと距離を取るアニスの判断は正しいが、アークにとってはその程度の距離では何の意味も成さない。導師守護役になったばかりの少女と、既に幾度も戦地へ赴いている己と、戦力の差は明らかすぎる程だ。

「いきなり呼び出してしまって、済まない。初めまして、俺は六神将の一人で、アーク。他に特務師団長とも呼ばれてるけど、どちらでもいいや」
「あ、こちらこそ。私はアニス・タトリンです。導師守護役の任に就いてます」

 アークの地位と権力、そしてお金に惹かれたのか少し目を輝かせながらアニスが名乗る。初めてアニスと会った頃には彼女のガルド好きには辟易したものだが、その理由を知れば納得せざるを得なかった。彼女は誰よりもお金に苦しめられ続けてきたのだから。
 だから一度だけ、救いの手を差し伸べようと思った。

「単刀直入に言わせてもらうけれど、モースと手を切ってくれないか?」
「な、なんですかぁ……いきなり」

 明らかに動揺する様子を見て、アークは更に続けた。

「両親の借金を盾にして、モースが君を脅している事は知っている。導師を見張り、それを逐一モースに報告すること。それが取引の内容だろう?」
「えっと、何の事かわかんないですよぉ……」

 全て知られているというのに尚も誤魔化そうとするアニス。
 その様子に我慢しきれなくなったアークが、口端に笑みを浮かべながら一歩前へと進み出た。ジャリ、と地を踏む音がやけに大きく辺りに響いた。そのアークの一歩でアニスとの距離が殆ど無くなり、アニスの顔には明らかな恐怖の色が滲んだ。

「さぁ、選んで貰おう。モースと手を切るか否か。勿論切ると言ってくれるなら君のご両親の借金は俺が肩代わりをしよう。俺への返済はしなくてもいい」

 ただ頷けば、もう大切な人を裏切り続けなくても良いのに。それなのになかなかアニスが同意を示さない事に、アークは焦れる。確かに会ったばかりの人物にいきなりこんな事を言われても、そう簡単に信用出来ないかもしれない。ならば後は力で押し切るのみだ。

「だが、切らないと言うならば俺は君を殺すしかない。どちらにしても別の人間が次のスパイになるだけだろうけど、少なくともその後君には何も迷惑は掛からない。悪い話ではないと思うんだけどな」

 声はひどく穏やかなのに、顔には未だ穏やかな笑みが浮かんでいるのに。
 酷く冷めた目をしていた。彼は心からは笑っては居ない。
 アニスの中の恐怖がどんどんと膨れ上がる。確かに、彼の提示する話は悪くはない。借金からの解放 ――― それが叶う事を何度も望んできた。だが、他人に何度も騙されてきた両親を持つ彼女は、上手い話には裏があるという事を知っていた。故に素直にアークの言葉に頷けない。
 けれど、ここで頷かなければ確実に殺されるという事ははっきりとわかる。彼のあの言葉ははったりなどではない。

「わか……りました」

 両親を残して此処で死ぬわけにはいかなかった。自分が居なければ、あの両親は生きてはいけないから。
 そして、あの優しい導師を騙し続けるのも嫌だったから。

「……そう言ってくれて、良かった」

 不意に頭の上に置かれた手。手袋に覆われているものの、わしわしと頭を撫でてくるその手は凄く温かかった。顔を上げて彼の顔を見れば、今度こそ心から浮かべる優しい笑みが浮かんでいた。それは一瞬だけのものだったけれど。

「モースへの借金は俺が片付けておく。借用書などは後で使いの者に届けさせるから、ただ何もせず待っていてくれるだけでいい。もしもその後にモースから何か言われるようだったら、俺まで連絡を寄越してくれれば対処しよう」

 それだけ告げると、アークは即座にその場を立ち去った。
 離れていく手を名残惜しく感じながら、アニスは去っていくアークの後ろ姿を眺め続けた。



「あの子、酷く怯えてたよ。少しやりすぎたんじゃない?」

 立ち聞きしていたのか、角を曲がった所で合流したフローリアンが呆れたように言う。

「……そうだな。それでも、俺は……」
「わかってるよ、さっきのが彼女を救う為だったって事は。ホント、不器用なんだから」

 運命の年 ――― ND2018までもう少し。
 最善の未来を得るために、出来るだけの手を打つ。出来るならば、それはあの時仲間でいてくれた彼らにとっても良いものであるようにと願いながら。


Back Next



 
フローリアンとアニスは切り離せないなと思いつつ、会わせてみました。…が、二人話して無いじゃん(爆)
フローリアンの処遇には迷いましたが、一番好きなパターン適応。シンクとの絡みも好きですが、フロもいいなぁ。
場所が食堂なのと、ディストが居たのは外伝に萌えたからです、すいません。
本当ならアニスは脅すだけ脅して終わりの予定だったんですが、最後少しだけ救済しちゃいました。
やはり、ルークだもの、一度くらいは手を伸ばすよね。決して二度目は無いのだとしても。

2008.07.22